ヒトの臓器をヒトに移植する同種移植が日常治療として定着した今日ドナー不足が深刻な問題となっている。この解決策としてブタの臓器の利用が考えられている。このような異種移植の場合超急性拒絶反応が問題となる。ブタの臓器をヒトに移植した場合、ヒトの血清にあるブタの血管内皮細胞に対する自然抗体が血管内皮に付着し補体の古典的経路が活性化されることによって超急性拒絶反応がおこる。ヒトの自然抗体の主なターゲットはブタ血管内皮細胞にはあるが、人間にはない糖鎖Ga1α1-3Ga1である。現在この糖鎖を持たないトランスジェネティックブタが作成されており、ドナー動物として期待されている。なおこの糖鎖を付加する酵素(Ga1α1-3Ga1トランスフェラーゼ)は高等霊長類(ヒトを含む)以外のほとんどの哺乳動物が持っており、これらの動物は自己抗原であるGa1α1-3Ga1に対する自然抗体を持たない。超急性拒絶反応以外に、異種移植における危険性として、ドナー動物からレシピエントへの病原体感染が危惧されている(ゼノーシス)。ブタにおいては、ブタ内在性レトロウィルスによるゼノーシスの危険性が示唆されているが、ヘルペスウィルスもまた無症状のまま潜伏感染するため、ブタに潜伏感染したヘルペスウィルスによるゼノーシスが否定できない。
ブタに潜伏感染するヘルペスウィルスとしてはオーエスキー病ウィルスがあげられる。オーエスキー病は広い宿主域を持つウィルスで、高等霊長類以外のほとんどの哺乳類に感染する。成豚では無症状であることが多いが、豚以外の宿主に対する病原性はきわめて強く致死性の神経症状を引き起こす。現在のところ本ウィルスのヒトへの感染をはっきりと証明した例はなく、本ウィルスが人畜共通感染症として扱われることはほとんどない。しかし本ウィルスはヒトの培養細胞で増殖することが知られており、なぜ高等霊長類にだけ感染しないのかは不明である。
そこで注目されるのが本ウィルスの宿主域と宿主細胞におけるGa1α1-3Ga1トランスフェラーゼの有無が一致することである。すなわりブタなどGa1α1-3Ga1トランスフェラーゼをもつ宿主細胞内で合成されたウィルスは粒子上にこの糖鎖を持っており、それゆえ抗Ga1α1-3Ga1抗体を含む高等霊長類の血清では中和されるという仮説を立てた。なお、この仮説を支持する予備データはすでに得られた。また他のウィルスでは抗Ga1α1-3Ga1抗体による感染阻止がすでに報告されている。
前述の異種移植のドナー用として開発された、Ga1α1-3Ga1を持たないトランスジェネティックブタがオーエスキー病ウィルスに感染するとこの糖鎖を持たないウィルスを産生することになる。このようなウィルスがヒトへの感染性を持つか否かを知ることはトランスジェネティック動物の管理のおいて必須である。
本研究の目的はウィルス粒子上のGa1α1-3Ga1の有無によってウィルスのヒト血清に対する感受性が変わるかどうかの確認、ヒト血清中の抗Ga1α1-3Ga1抗体がヒトへのオーエスキー病感染阻止にどの程度寄与しているかの確認である。あわせてオーエスキー病ウィルスに感染したブタ末梢血細胞からヒト由来細胞へのウィルス感染の有無も確認する。現在ブタからのゼノーシスという観点から研究されているウィルスはブタ内在性レトロウィルスのみと言ってもよい状況である。本研究のように、ヘルペスウィルスなどブタに潜伏感染するほかのウィルスの危険性に注目した研究は、異種移植の実用に向けて不可欠なものである。 |