再考、「参加型開発」

東京大学農学部国際開発農学専修4年
林政学研究室所属 目黒 紀夫
<megur@fr.a.u-tokyo.ac.jp> 

0.はじめに

今回、この第4回国際開発フォーラムを開催するに当たり、主催者である東京大学農学部国際開発農学専修4年の有志で勉強会を行なった。勉強会におけるポイントとしては、@「コンサル」とは何なのか、A「参加型開発」の具体的な理論としてどのようなものがあるのか、の2点を整理することが主たる目的であった。また、前回フォーラムで新たに知ったことである、JICA「草の根技術協力事業」をめぐるNGOと開発コンサルの競合について簡単な情報収集も行なった。そのような勉強会を踏まえて、本稿が取り扱うのは「参加型開発」をめぐる理論の簡単な整理・レビューである。「参加型開発」をめぐっては、チェンバース以降、数多くの研究がなされ、多くの文献が出版されているが、ここでは、その中でも最低限の事項を取り扱った。

1.「参加型開発」の登場背景

 「地域参加(local participatory)」という言葉は、現在においては開発学の分野に限らず、環境社会学や森林社会学、自然資源管理を対象とするコモンズ論など様々な学問分野において使われている。これらの分野においては地域住民の「参加」という概念はもはや‘常識’といっても言い過ぎではないほどに広まっているといえる。このような支持が得られる理由については、学問分野によって若干異なる点があるが、大枠としては従来型のトップ・ダウンの政策決定(開発プランや森林管理政策など)に対する批判があるだろう。開発の分野でいえば、トリクル・ダウン仮説のような極めてマクロ的なアプローチが、結局十分な成果を上げられず、むしろ、貧困の再生を行なってきたのではないかという反省がる。トップダウンアプローチでは「地域性(locality)」という固有性が無視されてしまい、また、政府・援助機関による一方的な政策の押し付けは地域のインセンティブを奪い地域住民の主体性・意欲を削ぐことにつながるのではないかという反省が、同時に叫ばれるようになってきた(開発における「スポイル」の問題が好例)。

 以上のような問題意識を前提としつつ、1970年代後半以降、提唱されてきたのがRRA(Rapid Rural Appraisal,迅速農村調査)である。R.チェンバースはこの特徴を「一番後ろにいた人々を前面に位置づける」と表現している(井上2003より)。RRAは、もともとは農村調査の迅速化・効率化を目指したものであり、社会学や人類学などの視点から考案されたものである。そして、このRRAを概念的に発展させたのがPRA(Participatory Rural Appraisal,参加型農村調査)である。基本的なツール自体はRRAのものを踏襲しているが、RRAからPRAへの最大の変更点は専門家の持つ役割の転換であり、井上はRRAの理念を「人々から学ぶ」こと、PRAの理念を「人々と共に学ぶ」こととしている(井上2003)。RRAにおいては、地域住民は専門家にとっては情報提供源に過ぎず、そこでは必要な情報の効率的な抽出という、専門化の“都合”優先されていた。それに対しPRAにおいては、専門家の役割とは「ファシリテーター(facilitator,側方支援者)」であり、その目的も、あくまで地域住民の主体的行動を促進するための「触媒」として働くことである。最近の言葉でいえば、地域住民の「エンパワーメント」こそがPRAにおける専門家の目的であり、したがって、PRAの意義とは地域住民の「エンパワーメント(Empowerment)」にどれだけ貢献できたかによって判断されるべきものだといえる。

 概念としてのPRAが提唱されたのは1980年代後半であり、人類学・農学における農村調査の効率性が当初の問題点であったが、「エンパワーメント」や「ケイパビリティ(Capability)」といった新しい概念が提唱され支持を集める中で、1990年代半ばには、開発分野においても「地域/住民参加」というものがこれらの概念を補強・導出する概念として支持を集めるようになってきた。

2.「参加型開発」の理論

開発分野における「参加型開発」の理論としては、まず、1990年代に顕在化した「参加型開発」への方向転換を開発学における「パラダイム・シフト」として捉えられる考えがある。斎藤は開発学における新旧「パラダイム」を以下のように整理している(斎藤2002)。

 は新パラダイムを「エンパワーメント型」、旧パラダイムを「ディス・エンパワーメント型」としており、「参加型開発」と「エンパワーメント」の重複性が窺えるが、このような新旧パラダイムの差異は以下のように整理できる。

表1 新旧開発パラダイム対照表
開発プロセス・要因 新パラダイム(エンパワーメント型) 旧パラダイム(ディス・エンパワーメント型)
目標 人間/基礎社会開発 経済成長/開発
イニシアチブ 住民が問題解決のため 援助側が外交政策や利益のため
オーナーシップ 住民・途上国政府 一部官僚や援助側
開発プロセスの責任 住民の自己責任 援助側の官僚と納税者に対して
協力機関との関係性 パートナーシップ・平等 援助側と被援助側・従属
計画作成 住民による発展的計画 専門家による一方的な決定
対象へのアプローチ 統合的・相互補完的 セクター/分野別・垂直型
実施支援組織 民主的地域組織・NGO 専門家・統制的中央組織
実施形態 参加的・自主的 外部主導型
事業の規模・対象 小規模・広範囲 大規模・特定地域に偏在
利用する資源 地域の人材と資源 外部の資金・資材と技術者
評価 住民により継続的・頻繁 専門家により短期・1回
評価指標 人間的・社会的指標 物理的・経済的指標
形成される心理状態 自立性・自尊心の向上 依存性・無力感の増加
貧富・地域差・性差 縮小 拡大
能力構築 高い 低い
持続可能性 高い 低い
出典:久木田・渡辺(1998)をもとに斎藤(2002)が作成したものを目黒が一部修正・要約

また「参加型開発」に関しては、国連開発計画(United Nations Development Programme,UNDP)により具体的な実践方法として、@Stakeholder分析、A草の根の情報収集・分析・計画、Bプログラム・プロジェクト計画、C関係者協議会、D大グループ改革、の5つが提案されている(PCM(Project Cycle Management)などに代表されるロジカル・フレームワークと呼ばれる手法はBに含まれる)。さらに、UNDPは「参加の成熟度」ということで「参加型開発」について8つの成熟度レベルを想定している(以下、斎藤2002より)。

1. 操作…実質的に参加が実現されていない状況。人々の「参加」は権力者の意向によってあらかじめ決定されている。
2. 通知…開発活動により生活に影響を受けると予測される人々に、人々の権利や責任、開発の進行に関する情報などを提供すること。情報を受ける側には交渉をする余地はない。
3. 協議…双方向的コミュニケーションが行なわれる。しかし、表明された意見が受け入れられる保証はない。公聴会など。
4. 合意形成…協議を経て、一定の意見の歩み寄りが行われる状況。社会的弱者と社会的強者の意見表明の機関平等性・意見の対等性が問題となる。
5. 政策決定…合意形成可能であるならば、その結果に対する責任は決定関与者全員に生じる。
6. リスクを共有…開発により予想外の結果が起きた場合に、説明責任に基づき決定に際して、より影響力があった者がその責任を問われることとなる。
7. パートナーシップ…共同の目的のために、人々が共同作業を実施する状況である。相互に責任を分かち合い、また危険を負担する。
8. 自己管理…最終的な段階。参加者が相互に経験から学び合い、全体として最も好ましい結果をもたらす状況である。

3.「参加型開発」の再検討

 前章では開発分野における「参加型開発」をめぐる基本認識を整理した。しかし、

このような理論には多くの問題点が存在する。

第一には、「パラダイム・シフト」という言葉の使用法の適正さが問題となる。佐藤は「パラダイム・シフト」論の問題点として以下の3点を挙げている。

@ 「パラダイム・シフト」という言葉自体が曖昧である。開発分野における「主流」の変化は様々なレベルで起きており、それら全てを「パラダイム・シフト」という言葉であたかも一つの大きな転換であるかのように整理することには疑問が残る。
A 「パラダイム・シフト」が「善(あるいは歴史的必然)」であるかのように無条件に想定している。本当に「パラダイム・シフト」と言えるひとまとまりの変化が起きているのか、それは望ましいことなのかの検討がなされていない。
B 「パラダイム・シフト」が現実に起きており、かつ、それが基本的に良いことであったとしても、「参加型開発」がそれと密接不可分なのかの説明が不明瞭である。パラダイム・シフトがなくても「参加型開発」の流れは起きてきたのではないという疑念。

 一般には、「パラダイム」とは「思考の枠組み」といった意味で用いられ、「パラダイム・シフト」は価値観の大転換いったように考えられるが、場合には、ある一時点を機に人々の思考方式が大きく転換されることを意味するが、@やBで問題となっているのは、「パラダイム・シフト」と呼べるような一貫した動きがあったのか、失敗を繰り返した結果としてあるだけでそれへの変化は徐々におきたのではないのかということである。表1においては、開発プロセス・要素として全部で17の項目があったが、これら全項目において一斉に「パラダイム・シフト」が起きたというよりも、例えば、「目標」において人間開発の比重が高まるとともに「イニシアチブ」や「計画作成」においても上表のような「参加」への変化が進んだのではないのかということである。「参加型開発」とは、現場における毎日の試行錯誤を繰り返した結果なのではないだろうか。

 そして、Aにあるように、「参加型開発」を論じる場合、理論家の多くが「参加」を無条件に「善」と構想している傾向が強い。UNDPの「参加の成熟度」も当てはまるのだが、地域住民が開発プロセスに「参加」さえすればそれでよいという安直な考えは、「参加」に伴うコストの問題を無視しているし、権力側による強制的な「参加」の点からも問題である。佐藤は「参加/不参加」という行為それぞれにおいて「自発的/非自発的」の2つの態度が考えられるとして、中央政府など公権力による「非自発的(=強制的)な参加」や、生活の余裕のなさなど結果として「参加」が住民にとって大きなコストとなるような場合における「自発的な不参加」という観点からの分析の必要性を提起している(佐藤2003)権力サイドからの一方的な「リスク」や「責任」の住民との共有(UNDPによる成熟度の6.の誤用)は非難されなければならないことであるし、「参加」に伴うコストに関しても、いかに専門家が地域住民の「コスト」を抑えて「参加」を「ファシリテート(側方支援)」するかが重要であろう。また、「フリー・ライダー」として開発の利益だけに与ろうとする「自発的な不参加」者の態度をどう改めるのかも、「参加」の意義という点で今後調査する必要があるだろう。

 また、佐藤は「参加型開発」をめぐる混乱の主要な原因として「2つの参加」が混同されているとしている(佐藤2003)。

表2 「2つの参加」の比較
「外部者の参加」論 「当事者の参加」論
  • チェンバースがもともと訴えていたもの。
  • 開発における「外部者の姿勢」を問題にしており、「いかにして、外部者が当事者の主体性を損なわずに参加するか」を課題とする。
  • 「外部者のいない」開発が究極的な理想である。
  • 一般に流布している「参加型開発」。
  • 「開発プロジェクトの対象となる人々の参加」あるいは「貧しい人々の参加」を意味する。
  • 出典:佐藤(2003)より目黒が作成

     チェンバースが本来「参加型開発」ということで問題にしたのは「外部者」である研究者・開発プランナーたちの現地住民に対する態度であった。「パラダイム・シフト」について、チェンバースは「モノ中心の開発」から「人間中心の開発」への転換という表現をするが、ここで彼が問題としているのは開発されるべき‘対象’の単純な変化(ハード面の開発からソフト面の開発へ)ではなく、成果としての地域住民の生活態度の変化である。表1でいうところの、「形成される心理状態」における項目変化こそがチェンバースが「変わるべき」ものとして提起した最も重要な点ではないのだろうか。地域コミュニティに外部の人間が謙虚に「参加」するという態度こそが「外部者の姿勢」ということで大切なのである。しかし、一般に「参加型開発」という名称が使われる時、そこで含意されているのは「当事者の参加」であり地域住民が「参加」しているかという問題にすりかわってしまっている。この乖離は「参加型開発」が「理念」なのか「手法」なのかという議論にも関係するが、このような混乱の原因の一つは「パラダイム・シフト」論であろう。「パラダイム・シフト」論では、全ての面において革新的な変化が同時に起こったと説明されるが、それゆえに、表1であげているような項目全てが、ややもすると同列に扱われてしまい、「参加型開発」論が本来重視していた点を無視する結果に陥ってしまいると思われる。少なくとも、チェンバースにおいては、「参加型開発」とは開発に関わる「外部者」に求められる一つの「理念」であったはずである。この立場からすれば、地域住民の「非自発的な参加」とはあってはならないことであり、「自発的な不参加」に対しても単純な「参加/不参加」という二項分類以上の分析が求められるはずである。

    4.「参加型開発」の矛盾

     佐藤は、「参加型開発」とは「外部者の参加のあり方」についての考察が中心となるべきものだとしているが、「参加型開発」には「2つの参加」論に以上に大きな矛盾が包含されいると思われる(ここでいう「開発」とは、途上国政府による要請を基本的な理由としながらも、国際援助機関や外国政府(機関)、国際NGOなどの「外部者」が資金などの面で中心的なイニシアチブを取って行う開発援助行為を想定している)。佐藤は「参加型開発」に固有のリスクとして、

    の2原則を示すが(佐藤2003)、第一原則における問題点とは、PRAなどの手法を使うなかで地域住民は自分たちを取り巻く政治・経済・社会構造についての理解を深めるであろうが、その結果として、開発ドナー側が意図していたのとは別セクターの課題を発見してしまう場合がある。しかし、開発ドナー側には本来の目的とは異なるセクターの課題に十分に対応するだけの金銭的・時間的な余裕は通常ほとんどなく、地域住民の発見を有効に生かせないことになる。また、第二原則では村人にとっての理想的な戦略がドナーにとっては望ましいとはいえない場合にどう対応するべきかという問題が発生する。経済収入の向上を目指す地域住民は、時としてドナー側が考える安全性や持続性を超える範囲で活動を行なおうとするが、このような場合、地域住民の自発的活動はドナーからすると必ずしも好ましくはなく、そこに支援することは難しい。結局、このような問題が発生する根本的な理由とは、「参加型開発」を実施した結果、開発ドナーが「プロジェクトの方向性」をコントロールできなくなることにある(佐藤2003)。

    しかし、チェンバースの意見に基づくならば、このような住民の主体性発揮は良いことであり、ドナーの統制が不要になったという意味では“理想”状況ともいうことができる。しかし、地域の意向を再優生することは、開発の「方向性」が予測不可能になるという意味でドナー側にとっては大きなリスクとなる(特に出資者へのアカウンタビリティにおいて)。同様に問題となるのが、誰が「開発」の必要性を決めるのかということである。例えば、日本のODAが(基本的に)外国政府の要請主義にもとづいてきたことは有名だが、ここにおいて「開発」の必要性を決めるのは外国政府であり地域住民ではない。したがって、政府の理論と地域住民の理論の間に乖離が生じている場合、「住民参加」は「開発」という行為そのものの正統性にまで疑念を呈することになりかねない。開発プロジェクトが政府などにより決定された場合、そこにおいては「開発」は前提であり、「参加型開発」もまた開発プロジェクトとして何らかの計画が実行されることを想定している。このような「開発」を前提とした「住民参加」には開発プランという名のレールがすでに敷かれており、住民の意向がどこまで反映できるのだろうか。この「開発」という行為の根本に関わる問題を考えるに際しては、「内発的発展論」をめぐる議論が一つの助けとなると思われる。秋津・中田によるならば、「内発的発展論」とは国家よりも狭い範囲としての「地域」を発展の単位とするもので、特にその地域の人々が固有に持つ文化・経験をもとにして、地域の人々自身の手によって「発展」が行なわれることを良しとする考えである(秋津・中田2003)。しかし、ここにおいては、誰が「内発」の有無を判定するのかという問題が生じる。「内発的発展論」においては地域社会が持つ固有の文化に対する意味付け・価値付けを外部の人間が行なうことを否定する。これは植民地主義の歴史に対する反省が元となっており、「発展を押しつけてそこに住む者を抑圧してはならない(秋津・中田2003)」という命題が背後にある。しかし、この命題は「内発的発展」の事例を誰が評価するのかという問題に直結する。外部の人間が地域の「内発的発展」を評価することを否定するならば、そこにおいては発展の成功例を一般化することは不可能である。結局、秋津・中田は、「内発的発展論」においても「ほかの開発理論」と同様に「発展のあり方をおしつける」機能が働いているのではないかと考える(秋津・中田2003)。「開発がある者からある者への介入行為である以上、それが正当化されるためには、開発を行なうことから帰結する発展が望ましいものであるか否かに関する、価値観を含めた共通の尺度が、少なくとも当事者間において了解されていなければならない(同上、p208)」という指摘は、「開発」という行為の本質を衝いた指摘であろう。このような指摘を踏まえた上で、改めて「地域住民の参加」とはどのような形・状態がありうるのかを考えていかなければならないだろう。

    5.おわりに

     近年、地方分権化というものが途上国の多くで進められている。これは、開発をめぐる中央政府と地域住民・社会との対立を解消する一助となることが期待されるが、同時に、グローバリゼーションが進行した現在に置いては国際NGOなど国を超えたかかわりもより活発化してきている。そこにおいては、あらためて、「当事者⇔外部者」の区分けが大きな問題となってくるのではないかと予想される。どうすればそのような事態を分析していけるかは、まだまだ五里霧中であるが、主催する側としては、このフォーラムがそれらを考えていくための助けになればと思う次第である。

    【参考文献】

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