農学国際専攻・国際開発農学 創立10周年シンポジウムから



はじめに

水産業を営んでいる人たちは途上国でどういう人かということを見ますと、水産だけやっている方というのは少なくて、どうしても水産をやりながらお米をつくっているとか、あるいは家内工業でちょっとしたものをつくっている。もう少し地域を見る視点ということですね。農業も入って、更に教育の問題あるいは保険の問題とか、トータルに考えないとなかなかその地域あるいは個々の家の生活がよくならない・・・

そういうように幾つか出てきたものをどう配列すれば新しい価値が生まれるかという発想を身に付ける必要があるんです。というのは、1つの物をつくるにしても1つのディシプリンを展開すればできるということはほとんどないということがございます。

基本的な設計図をある程度研究者仲間でつくってやるべきじゃないか。その話の中で最も必要なのは、こうしたグループの議論を率いていくオーケストラであるならば指揮者です。それを私としては個人的にシグマというふうな呼び方の人間と思っていますが、この人間が今一番いません。特にこの日本という社会の中ではシグマ型の人間が出てくる素地がないと。これをどうやって育てたらいいのかということです。

 

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求められているもの

農学生命科学研究科農学部というのは非常に皆さんやっている分野が広いんですね。だから、ミニ総合大学というように言われています。農業経済とか資源経済をやっている先生もいるし、大腸菌を培養して遺伝子の解析をやっている人もいますし、水産をやっている先生もいるし、森林をやっている先生もいます。それぞれの分野では大体評価はできるんですけれども、分野が違うともうわからないんですね。

私たちは狭い専門領域では21世紀に問題解決できないということはもうわかっているんです。どの分野でもそうです。別に農学に限らず、すべての学問が縦割りで100年やってきたわけです。東京大学はもう130年、ものすごい強い壁を縦につくってしまった。しかし、これはディシプリンをしっかりさせるということで、100年の間でこのくらい科学技術が進歩した時代はなかったわけですから大変な蓄積をしたわけです。しかし、実際に目の前にある問題解決をするときにこの縦割りのディシプリンだけにこだわっていたらできないということは本当に多くの人が認識していた。


 

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どのように学ぶか、どのように教えるか?

できれば途上国でマングローブなどの森林関係のプロジェクトがやりたいと希望して今の会社に入社したのですが、水産のプロジェクトに関わっております。実際にふたを開けてみると、人が生活を営むために水産だとか、木を植えたりとか、農業をやったりすることに共通点はあり、その部分は大学、大学院で勉強したことは生かされていると思っております。

ほかの周りにあるいろいろな技術体系あるいはほかの分野、こういうものに対してそれを全部身に付けることなんてできっこありません。昔のレオナルド・ダ・ヴィンチの時代と違って、これだけ分化しちゃっているんだからできるわけはないのですが、しかし、自分の専門だけではうまくいかない。幾つか配列する必要がある。では、何と何を配列すればうまくいきそうかというくらいのほかの分野についての理解ですね。全く知らなかったら自分で全部やろうと思うと絶対うまくいきません。そのくらいの知識は幅を広げていただきたい。

多少分野とか対象が変わってても、必要な物の見方とか、例えば研究だったらその課題を設定するとか、実験を組み立てるとか、まとめて人に伝えるとか、そういう基本的なテクニックは変わらないという気がします。
ただ、私が感じるのは、知識として、あるいは答えがあるものとして情報を教えてもらえるというふうに期待している学生が非常に多くて、そこからいかにして考え、自分から何か見つけて考えるというふうに導くというか、そういう経験をさせるような教え方が非常に大切だと思います。

そこの生活者がどういうふうな生活をしているか、その人間がどういうものであるか。それに対して自分がどうであるか。つまり、他者を見て自分を見る。相対化して自分を見てそういうものをとらえるという、コミュニケーション能力の基幹にあるものですね。

実体験の不足。専攻では、タイあるいはインドネシアということで学生を連れて、そこで実体験をさせながら目的意識をどうやって養うかということをやり始めているわけですが、なかなか難しい。問題設定能力。例えば、建築士とか医師とかは問題解決能力が必要なんです。目の前に患者が来てどうしようこうしようと言っているときに、きっちり問題解決できなかったらこの人は死んでしまうわけですから。そういう分野に比べてこの専攻が目指しているのは、問題を発掘する能力といいますか、これが非常に重要で、これが今どういう形でできるかというのはまだ試行しているといいますか、ようやくその体系が整ったところではないかという感じがするのですが、・・・

一番大事だと思うのはやはり主体性なんです。つまり専門とか何とかというよりも、自分は一体どういう人間なんだという部分を深く突き詰めていただきたいんです。そして、一番の得意技ですね。アメリカなどだとどんどん転職するでしょう。あれを繰り返しますと自分の一番得意なところに最後に行き着く人がいるわけです。これはやはりだめだった。今度はこちらだ。それでどんどん回っているうちに、これこそ自分の生涯の得意技だというところにいったときにものすごい力が出るわけでしょう。何が本当にやりたいのか。会社のブランドとか、そういうことではなくて、そのためには自分が柵をつくらないで出て行って聞いたらいいと思うんです。
(農学系と理工学系の)違いというのはどこにあるのかということを考えてみますと、一言で言ってどれだけ自然に対して畏敬度を持っているか、その気持ちが理工学系は少ないと思っています。自然とか環境とか生き物を対象にしますでしょう。ある意味では我々の仲間なんですね。我々がそこではぐくまれてきた。これが理工系と農学系の決定的違いなんですね。
自然の中で自分は一体、何のために生きて、そのために今、何を専攻していて、人々のため、世の中のために少しでも何か残せるとしたらそれは何なのかということについて、時々距離を置いて考えていただきたい。そうしますと、自分一人ではできないことが絶対出てくるんです。そうしたときに、ではどういう人たちと結んでいったらいいのか。無理をしてつくった柵を乗り越えていくというのは大変なことです。でも、原点の自分に戻ってもう一回考えてみると、恐らくその必要性というのは自然にわいてくるはずなんです。



以上のディスカッションの詳細は農学国際専攻のホームページで読むことが出来ます。
http://www.ga.a.u-tokyo.ac.jp/e_symposium.html

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